私は、時計屋の息子として生まれました。
私が幼少の頃は、時計といえば希少で高価なものでした。
当時は機械式の時計を修理して時計は大切に扱われていました。
今の時代とは違い 時計店といえば、時計の販売と同じくらい
いやそれ以上に、時計を修理する事の方が多い時代ですから
父の修理机には、いつも無数の大小の時計の歯車やゼンマイで一杯でした。
そんな小さな歯車の組み合わせで、コチコチと音がしながら、
時を刻み時を告げる腕時計。
また正午などの時間になると、
壁いっぱいに飾られた、手巻き式の掛け時計から、
ボーンボーンと鳴り響くチャイムの音が心地よく大好きでした。
そんな私は店に飾られている時計や、
修理机で分解掃除されている時計を見ながら育ちました。
ですので修理不要の時計は、興味深深で、
時計を分解しながら中の構造なども見ていたものです。
小学校の夏の工作の宿題には、不要になった腕時計
目覚まし時計の歯車を集めて、
機関車のD51を作ってみたりと、時計屋の息子という
当たり前なのですが いつも時計に囲まれている
そんな中で私は、育ってきました。
<『しあわせの時計』は、2000年に誕生しました>
そんな私も、大学を卒業し、
同じ業界の大型チェーン店に修行を兼ねて就職し
家業を継ぐと決めてました。
私は、祖母の容態が悪くなってきたのをきっかけに地元に帰り、
少しでも近くにいる時間も作ろうと、
予定より早く23歳(1989年)で家業を継ぎました。
そんな当時 時計店を継いで店頭に立って感じた事
時計は、大量生産された物 個性の無い似たような同じ物
価格破壊も進み 毎日販売している時計を見ながら
なんだかやるせないという気持ちが
日に日に積み重なって思ってきました。。。。
それは、私が小さい頃 父親は、修理机に座って時計を修理し
その時計には、○○様とタグが付けられて
時間をかけて、時計を蘇えらせて、
お客様一人一人の時を刻む お手伝いをしていた事
その時計を受け取りに来られたお客様の笑顔
その笑顔が幼少の私も嬉しく
父親を誇らしくも思っていました。
その時 自分に問いかけてみました。
゛やっぱり一人一人のお客様の為の時間を刻む時計をつくりたい・・・・゛
私が作りたいのは、そんな時計
一人一人の時を刻めないのか
時計は、時を告げる道具だから
その時計が、一人一人の人生の歳月も刻めれば
きっと。。。
その時計を見る人 全てが幸せを感じるのでは?
時計に囲まれて育った私が、時計に恩返しできるかなって。。。
この感覚は、時計屋の息子として生まれ育った
私だからの感じた事かもしれません。。。
この時『しあわせの時計』の核心が出来上がりました。
現在まで、立ち上げて1200万個(2012年12月)を
超えるご依頼をいただきました。
当初は、コパルオリジナル時計として、スタートしました。
『しあわせの時計』とネーミングしたのは、
ご依頼の方から沢山のご感想をいただく中で、
「とても、しあわせな気持ちになりました。」
ありがたい事に、そのお言葉をいただく事がとても多かったのです。
ご依頼の方の贈る幸せ、喜ばれる幸せ
いただく方の嬉しい幸せ・・・ 時計を見る幸せ・・・
そんな幸せを、ご報告いただくと、私達も幸せになります。
幸せの おすそ分けをいただいている感じです。
その時に、この時計は、『しあわせの時計 』なんだと・・・
この時計のネーミングを考えて
さらなる時計の方向性も確信しました。
ただ、写真を文字盤にしているつもりは、私達には無いのです。
皆さまから、お送りいただいた お写真を一枚一枚
ゆっくり拝見させていただきながら お渡しされる時に、
お贈る方と贈られる方 皆様に
一生忘れられない時間がお届けできたらな。。。
ただその幸せな笑顔表をだけを、考えながら
ひとつひとつを、ゆっくり時間をかけて
心を込めて製作させていただいています。
一番お届けしたいのは“しあわせの時間”なんです。
今後も変わらず、この気持ちを胸に
皆様とお会いできる時を楽しみにしています。
『しあわせの時計』 企画立案 製作者
有限会社 シマタニ時計店 代表取締役
ジュエリー&ウォッチ コパル店長 島谷浩二